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2006年3月 5日 (日)

見上げれば星の声

●『機動戦士ZガンダムⅢ -星の鼓動は愛-』


 アレから四半世紀、ようやく僕らは許して貰えたのだと、思わせて下さい。


 HGUCガザCが出るのを、パンフで初めて知ったくらいに事前情報を遮断して臨んだ“完結編”、観て参りました。冒頭、「素人集団」のアクシズ兵を容赦なくぶっ殺す我らがシャアの素敵さ加減に一気にテンションが高まり、そのままラストまで駆け抜けてしまいました。素晴らしい。『恋人たち』は忘れろ。

 例によって、大筋はTV版とまるきり同じです。「誰も知らないラスト」なんつーのは大袈裟なコピーだとは予想しておりましたが、それにしてもアレコレ夢想していたのをあざ笑うかのごとくそのまんまです。カツの間抜けな事故死やジェリドのついでに殺されちゃった場面なんか、絶対変わると思っていたのに一緒でした(笑)。特にジェリドは、念入りに「単なる馬鹿」の烙印を押される始末(謎の遺言、「カミーユ! 貴様は俺の…!」は本当に謎になってしまいましたし)。流石に今なら恥ずかしくて変えるだろうと思っていたクライマックスのオカルト合戦もやっぱりライブ使用…どころか、パワーアップしてさえいます(苦笑)。しかし、ポイントポイントで同じフィルムを使用しているのに台詞をガラリと変更している為、随分意味合いが異なってきているシーン続出でした。一番顕著なのが、カミーユのバイザー解放シーンで、以降の空気を全く変えてしまっています。“新訳”の真髄を堪能させていただきました。いや凄い(でも、ジュピトリスまで木っ端みじんにしちまったのはヤリ過ぎだ)。

 今回の白眉、『∀ガンダム』環境以降のかくあるべし的エピローグ部分がもぉ、本当に良かったですね。ハッピーなだけでない部分もあって余韻たっぷりで…(セイラさんの登場には色々もう…)。そして、若い二人がちちくりあっているのを「しょうがねえな」てな面持ちで温かく見守る最後のブライトは、(ああだこうだと怒鳴っている分も含めて)完全に富野カントクに同化していたのだと思います。あのシーンは、ようやく不甲斐ない我々若い連中をカントクが許してくれた(許せると思えるようになってきた)のかな、と感じたところでした。いや、正確に云うと、俺ら『1st.』世代は死ぬまで許して貰えないだろうけど(笑)、その後の世代に関しては、「(色々云いたいことはあるけど)まあ、いーんじゃねぇの?」と云う希望的観測が込められているのではないか、と(そもそも、TV版においてもカミーユってそんな役回りだったと思うし。ただ、ベクトルが違っただけ)。外へ外へと向かうエンディングが、内へ内へと籠もって行くかのような『星を継ぐ者』のオープニングと真逆になっているのも、その象徴であると思うのです。甚だ手前勝手な解釈ではありますが、そんな“新訳”を観せて下さった富野監督に、心からありがとうございましたと云わせて下さい。

 勝手ついでに。今回、劇中で“ニュータイプ”って言葉が使われたのは、最後の決戦でシャアが語った所だけだったと思います(違ったらゴメン)。それが著しく違和感を感じたのは、自分だけでしょうか? 最早、ニュータイプ云々と云った次元を越えて成長しつつあったその時のカミーユに比べ、未だニュータイプと云う“古い概念”に囚われたままのシャア。後に彼が、隕石落としなる愚行へと走ってしまう悲劇の端緒は、もうここではっきりと現れてしまっていたのかも知れません。


 …エンディング、宇宙を往くアクシズ艦艇の舷窓に、またシャアのシルエットが浮かぶのかと期待して見ていたのは俺だけッスか?(笑)。

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